私の生きる道 (アメリカインディアナ州)

2016年6月 アメリカインディアナ州に移住

造影CTで肝臓に影

日本で、6/27に乳がんの7年目定期検査として、造影CTを受けて来ました。

「肝臓、胆嚢、胆管、膵臓周辺、転移ありません。リンパ腫れありません。乳腺に異常ありません。後は肺だな…。

肺にも…転移ありません。」
と、ここまでは今までと同じ流れ。

過去15回ほど造影CTを受けて来て、今までならここで終わり、ほっと胸を撫で下ろして診察室を出るのですが…

今回は違いました。

「…ひとつだけ気になるところがあるんだわ。」

で、画像を見せられ、

「ここに黒く写ってるところあるでしょ。多分大丈夫だと思うけど、念の為、PET撮っとこ。」

「これ、どこですか?」

「肝臓だね。」

即、先生のオーダーが出で、看護師さんとクラークさんがセカセカと動き出し、検査はいつがいいだの、同意書はこれだの、検査説明書を読めだの色々言われ、待つこと30分、提携先の総合病院でPET検査の予約が取られました。

1年前のCT画像を先生が見返したところ、実は1年前にもその影はありました。
ただ、今回の方がより大きく、素人目でもはっきりわかりました。
先生は黒く写ってる箇所が1個だけなので乳がんの転移らしくはないと言いますが、増大傾向を確認した途端先生の顔色が変わったので、これは赤信号なんだと察しました。

そもそも、なんで肝臓?
肝臓という生命を司る重要臓器なだけに現実味がどうも湧きません。
再発を恐れ過ぎて、何度も悪夢を見たり、最悪の事態を想像したりして来ましたが、
いきなり肝臓とは想定範囲外でした。

今回のことで気付いたのですが、
「どうしよう。」と周囲を巻き込んでいるうちはまだまだ余裕で、
本当のピンチに直面すると、
孤立を望むようになり、騒ぎ立てることすらできなくなるものみたいです。
流れの速い川に、ただただ流されていく自分がいました。

病院から家までの帰路では、「肝臓に影」が頭から離れず周りの世界から完全に遮断され自分だけが異なる時空に彷徨っている孤独感。
両親に話してから現実味が湧いてくると、「いや、多分違う。大丈夫。」と否定したい気持ちと、そうだったらどうしようという恐怖。
その後は、「なるようになれ!」と受け入れる努力とは裏腹に、向き合うには大きすぎる不安が大波で襲ってくる感じ。
そして、検査を受け終わった頃には、どんな結果でも受け止めようと覚悟して結果を聞きに行くのでした。

エリザベス キューブラー ロスの本を読んだ事があるのですが、
『死の受容過程』の説明にあった五段階に似てるなと、今書いていて思います。

CT検査含めこの出来事は6/27、日本帰国してすぐのこと。
7/3がPET検査で、その結果を7/10に聞きに行くことになりました。
私達の日本滞在が6/25〜7/18なので、
この時点で日本滞在中の3分の2は病気のことで頭がいっぱい、心から楽しめないこと確定でした。

7/3のPET検査のこと、その結果のことはまた後日書きます。