私の生きる道 (アメリカインディアナ州)

2016年6月 アメリカインディアナ州に移住

私の乳がんについて④

最後に、乳がん7年目にしての想いを書きたいと思います。
ピンクリボン月間の10月中にここまでを書き終えたかったので、なんとか間に合いました。

まず、私ががんと診断されて最も悩んだことは、子どものことです。
病気をすると、小さな子どもがいる場合悩みます。
未就学児では、
「ママ、具合悪そうだな。」
と感じるくらいで、まだがんという病気についての知識はありません。
小学校2年生くらいになると、説明するといよいよ分かる年齢です。
私は病気してすぐの時、未就学のころから子どもには伝えていました。
ママは乳がんだと。
でも、ママは薬は飲んでいるものの、元気で働いて、家事して運動までしてる、がんなんて怖くないと感じて今まで来たはずです。
しかし、最近ニュースでがんによる訃報を耳にした時、心配そうに、
「ママは大丈夫?」
と何度か聞いて来ました。
「大丈夫なように薬のんでるよ。
ママが悪いときは助けてね。」
というと、不安そうに頷きます。

子どものことを思うと胸が痛みます。
私は手術を受けて間もない時から、身近の目標を決めひとつひとつクリアしてきました。
考えるのは、なぜかいつもお風呂にひとりでいる時間でした。
まず、上の子の卒園旅行、卒園式、入学式。
「上の子のが叶ったら下の子のも絶対に!」
と、その時2年先の目標が生まれ、
「2年かー。長いな。」
と、CT検査の結果が毎回本当に怖かったです。
クリアしてきた今は、女の子なので女の子ならではの体の悩みが出て来るだろうから、その時までは絶対に、また恋愛の悩み、進学の悩み、結婚、あわよくば孫の顔見られるようにと、どんどん欲が出てきてしまいます。
ま、乳がん以外の病気でいつ何どき…。
人生はわかりませんが。

世の中には沢山のママ患者さんがいます。
ママ患者さんには違ったサポートが必要だと感じます。
子どもとの接し方、子どもへの伝え方、子どもの心のサポート、子育てと闘病の両立、また、夫が協力的なケースばかりではないはず。
若くして病気になるのは本当に考える事がいっぱいです。

ここからはがん患者7年生の少し前向きな考え。
全ての悩みに共通することですが、ある程度時間が解決してくれるということを学びました。
乳がんで闘病している人、他の病気で闘病している人、他、大海原の荒波の真っ只中にいる人は必死のはずです。
荒波で先は見えず、どこに向かえばいいのだろう、どこまで行けばいいのだろう。
その時、何かを解決しようと、答えを探そうともがいても、どれだけ悩んでも埒があきません。
そういう時期だからです。
もちろん、出来ることはやります。
しかし、もがいてもどうしようもない事が多いです。
悔しいですが、この病気の方が人間より上手なようです。
そういう時はやってくる波に流されましょう。
なるべく楽な体勢で。
境遇を受け入れ、抵抗せず、岸にたどり着いた時には、どんな形であれ少し落ち着きを取り戻し、あんな日もあったなと過去を振り返り、未来が見えてくるものです。
必ずそういう時がやって来てくれます。
また家族や周りの者も必死です。
しかし、一緒に荒波にもまれてしまうと、海の広さもわからないし、向かう先もわからない。
なるべく外野から全体を把握できる状態を保てるといいと思います。
本人の道しるべにもなってあげられます。

また近年、がん治療しながらも毎日を自分らしく楽しく過ごせる時代になっています。
治療技術や薬が開発され、昔より病気と日常生活の共存が可能です。
治療しながらでも変わらず働けて勉強できて遊べて、そんな世の中です。

病気と闘う人が少しでも自分を見失わなくても済みますように。
また、時間が経ってもとの自分を取り戻せる時が来るという希望があることを知ってもらえるように、祈って止みません。

病気になって初めて気がつくことが沢山あります。
だから、病気で得た教訓は何かの役に立つものと確信しています。
私は、伝えていくことで人と人との壁が取っ払えるならどんどん伝えていきたいです。