絶対評価が生み出すもの
英語が出来なくても、
毎日先生やクラスメイトが何言ってるか全部わからなくても、
我が子2人とも劣等感を全く感じる様子もなく、
楽しくのびのびとスクールライフを送れています。
「英語がわかるようになりたい、もっと喋れるようになりたい。」
とは言いますが、
「わからないから嫌だ。」
とは、2人とも一度も言ったことありません。
これには主人も私も初めは驚きと感心で見ていましたが、
昨年4ヶ月間、私自ら学校に行って
たくさんの子ども達や先生と触れ合って
その理由が何となく掴めました。
あくまで私自身の意見ですが、
アメリカ文化に根付いた『絶対評価』により、
余り他人を気にせず自分自身に自信を持てる環境にあるためだと思います。
『絶対評価』とは、
他の子と比較しての評価ではなく、
一人ひとりのパフォーマンスを個々で評価することです。
実際、上の子のクラスでは、
「あなた自身のことを話してください。」
と言われれば全員が手を挙げます。
発言はどうってことないくだらない話。
それを全員が自慢気に堂々と話します。
誰もけなしたり冷やかしたりバカにしたりしません。
自分自身も同じような話するのですから(笑)。
みんなの前でつらつら自慢話ができたり、
みんなの前で堂々と泣くことが出来ます。
ファッションも個性的です。
ブーツ、サンダル、ジャージ、ネクタイ、帽子、
何を着ていっても履いていっても、
余程でない限り叩かれません。
いろんな子がいます。
大人しい子、お喋りな子、乱暴な子、真面目な子。
でも、大人しい子が目立たないとか、お喋りな子が目立つとか、
その子のパーソナリティが存在感に影響するかといえば
全くそんなことありません。
大人しい子もお喋りな子も同じ様に存在感が際立っています。
そんな環境であれば、
言葉の壁がある我が子達が
学校生活でのびのびと過ごせていることに納得がいくのです。
本当に有難いことです。
『絶対評価』の結果が、あの子やこの子の自信に満ちた表情、態度、発言につながっているのだとすれば、
これは大人が意識していかなければいけないなと感じます。