私の生きる道 (アメリカインディアナ州)

2016年6月 アメリカインディアナ州に移住

私の乳がんについて②

今回は私の病理結果と治療法について書きます。

まず、乳がんの種類のお勉強です。
ここでは一般的に言われている内容および私のケースに基づいて書きます。例外もあり、人によって違うこともあるのでよろしくお願いします。

乳がんには様々なタイプがあります。
タイプが違えば治療法も薬も違い、
全く別の病気と言ってもいいくらいです。
また、タイプによって再発のリスクや増殖のスピードが違います。

タイプ分けの鍵となるのが、
ホルモンレセプター(ER、PgR)が陽性か陰性か、
HER2が陽性か陰性か、
Ki67が陽性か陰性か、
大事なのはこの3つです。

一般に言われている事は、ホルモンレセプターが陽性であれば、がん細胞は比較的大人しいらしいこと、ただ進行がゆっくりなだけに10年経っても20年経っても再発のリスクは残るということ。

一方、HER2陽性の場合はがん細胞の増殖が活発で、かつては打つ手がなかったと言われています。ただ、近年、分子標的薬ハーセプチンが開発、保険適用され、生存率が改善されたらしいです。

また、トリプルネガティヴといって、何れのホルモンレセプターも陰性でHER2も陰性のタイプもあり、ホルモン療法もハーセプチンも使えないうえ進行も早く厄介と言われています。

あとKi67とはがんの悪性度を示すものです。陽性で数字が大きければ大きいほど、悪性度が高いと言えます。

以上、ホルモンレセプター、HER2、およびKi67の情報で治療法が決まります。ホルモンレセプターが陽性ならホルモン治療、HER2陽性ならハーセプチン、Ki67が高ければ抗がん剤治療でしっかり補助療法をしましょう、など。それらを組み合わせてそれぞれに合った治療をしていきます。

以上を踏まえて、私のケースに戻ります。

手術から約1ヶ月後、病理結果を聞きにいきました。
私の乳がんは一般にいう悪性度の高いものでした。
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DCIS(非浸潤性)かもしれないといわれていたのがIDC(浸潤性)だったこと、
脇のリンパに転移は無かったが、
思ったより横への広がりが大きかったこと、
断端陽性(切除端5ミリ以内にがん細胞がある)であったこと、
ホルモンER, PgRともに微陽性だったこと、
HER2が3+で陽性であったこと、
Ki67が陽性だったこと。

以上の報告書があがっていました。
また、主治医が、半年遅ければもっと大変なことになっていた印象だと言いました。

この結果を受けて、治療が決まりました。

まず、放射線治療。
1回2グレイ×25回で50グレイ、
断端陰性の場合はこれで終わりますが、私は断端陽性だったので、追加照射を5回の合計60グレイ。
約1ヶ月半程毎日照射に通います。

それが終わると抗がん剤治療を3ヶ月間。
医者によっては、私の病状では抗がん剤治療は必要ないということもあるらしいが、私の主治医は、
若年性であること、
HER2陽性、Ki67陽性であることから、
通常の半分だけでも抗がん剤治療を受けるように勧められ、受けました。
週1で3週間連続受け、1週休み。
それを4クール。

そしてそれが終わると、
HER2陽性の場合のみ保険適用で受けられるハーセプチンという分子標的薬を3週間に一度、合計17回。

そして、ホルモンレセプターも微量でありながら陽性と出たので、ホルモン治療も受けることになりました。結果を聞きに行ったその日から、抗エストロゲン剤のタスオミンの内服とお腹にリュープリンの注射を打って生理を止める治療を始めました。

これぞ治療のフルコースです。
そんなつもりをしていなかった私は、現実を受け止めるのに時間がかかりました。

お金がかかります。
1時間半かけて毎週通院しなければいけません。
いや、放射線治療は毎日です。
その時頑張っていた資格勉強はどうしよう、
お金のことはどうしよう、
子ども達のことはどうしよう。
色々考えることがありました。

始めは治療をフルコースで受けなければならないことを恨みました。
しかし、乳がんのタイプによっては、ホルモン剤は使えない、ハーセプチンも使えない、頼れるのは抗がん剤のみということもあり、使える治療薬が無い恐ろしさ、不安というのがあるとはその時は知る由もありませんでした。実はフルコースで治療が受けられることはある意味有り難いことだったのです。