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私の生きる道 (アメリカインディアナ州)

2016年6月、アメリカインディアナ州に移住し、家族4人日々奮闘!

私の乳がんについて ①

今回は、私の乳がんの症状、受診、検査、手術までを書きたいと思います。そして後日、私の病理結果とそれに沿って受けた治療と、その後のフォローについて書きたいと思います。


私に乳がんが見つかったのは、32歳の時、上の子が4歳、下の子が2歳になったばかりでした。

何時ものようにシコリが無いか、分泌物がないかなど乳がんセルフチェックをしていたら、乳頭からプチッと赤黒い血液が出たのです。
ちょうど裁縫中に指の腹を針で誤って刺してしまった時のような出方でした。

血の気が引き、鼓動が高まりました。
もう一度確認すると、やはり出ます。
何度やっても出ます。
血性の分泌物は癌の可能性があると読んだことがあった私は、書斎にいた主人に、
「私、乳がんかもしれない。」
と言いました。
夜で子どもたちは寝静まっていた時間帯でした。

翌日、県内でも定評のある乳腺外科を受診しました。

その日の乳腺外科では、触診、マンモ、エコー、細胞診、分泌物の細胞診をしてもらいました。
触診、マンモ、エコーでは特に癌を疑う所見はありませんでした。
それでも血性分泌物はあるので、
「良性の乳頭腫でもあるのかな…。」
と先生は言っていました。
細胞診の結果を1週間後に聞きに行くことになりました。

1週間後。
細胞診の結果は、一般にクラス1〜5まであり、
1, 2は異常なし、3aは白に近いグレー、 3bは黒に近いグレー、4, 5は癌となっています。

私の結果は、乳管細胞は判定不可、分泌物は3aでした。

さらにその日、乳管造影といって、乳管内に造影剤を入れてマンモグラフィーをとるという検査をしました。頻繁にする検査ではないらしく、スタッフの勉強のためにとその日勤務していた看護師さんや技師さんや受付の人まで私の周りに集まり、恥ずかしく、痛く、苦痛な検査でした。
もうひとつ辛かったのが、マンモグラフィーの圧迫による乳頭からの出血です。
初日のマンモグラフィーでも圧迫により乳頭から血液が出ました。乳管造影は造影剤を入れての圧迫なので、予想通り大量の分泌液が出ました。すごく精神的ダメージか大きかったです。

乳管造影の結果は、乳管が若干細くなっているところはあるが、明らかに腫瘍があるという画像ではありませんでした。

さらに別の日、CT検査も受けました。そのCT検査で乳腺に少し造影されているように見えるところがあったみたいですが、がんを疑うようなものではなく、先生も首を傾げながら、
「様子見にして半年後に再度検査するか、ハッキリさせるためにこのタイミングで手術するか、どちらがいい?」
と聞かれました。
私は迷わず、
「切って調べて下さい。」
と言いました。

先生は快く受けてくれ、しかも悩む期間をなるべく短くということで、その話から1週間後くらいに手術が決まりました。

まず怪しいところを切って術中迅速診断にかけ、悪性と出たら同じ手術中に脇のセンチネルリンパも調べるとのことでした。

手術は10/22でした。

手術日の前日に入院です。
入院日は保育園の遠足でした。
弁当を作っておくりだしてから、入院先に向かいました。
母親に付き添ってもらいました。
術前検査を色々受け、夜は着圧タイツを履いて寝るように言われ、当日は朝から絶食でした。

当日、手術室までは歩いて行きました。
手術台に寝そべり、酸素マスクを口元にあてられると、気持ち良く意識がなくなりました。

どのくらい経ったでしょうか、鋭い痛みで意識が戻り、執刀医の、
「これだ、これだ!」
という声が聞こえました。
術中に目が覚めたようでした(゚o゚;;
鋭い痛み(泣)
これは今語れる人生最悪の経験です。
顔をしかめた途端、また直ぐに意識がなくなり、次目が覚めたら、手術が終わって部屋に帰る途中のエレベーターの中でした。
母親が着いてくれていました。

部屋に戻ってしばらくうとうとしていると、執刀医であった主治医が、付き添っていた母を呼びました。
母は病室から出て行き、暫くして戻ってきました。
そして私に言いました。
「良性ではなかったらしいから、脇のリンパも調べるのに切ったみたいよ。」
と。

先生は母にはっきり悪性と言わなかったみたいで、母も私に悪性とは言いませんでした。

術後、麻酔から目覚めて、気分もそう悪くなく、ベッドに横たわってモニターの音が心地よく響いていた中でのやんわりな告知でした。母の声も落ち着いていて、
「そう…」
としか思いませんでした。
がんを告知されたことよりも、手術を終えた安心感の方が強かったです。

しかし、術後、時間が経ち、体も回復してくると、いよいよ実感が湧いてきました。その頃は傷の痛みにも敏感になる時期で、現実を見なければいけない時でした。また、その頃、術中の執刀医の、「これだ、これだ!」の言葉が頭の中をグルグルまわっていました。

1ヶ月弱で抜糸をしました。
実はその頃、また術側の乳頭から出血しました。主治医にそのことを言うと、
「手術の影響でしょう。」
とのことでした。
実際、再発とか取り残しとかは無く結果論として心配するものではなかったと今は言えますが、その時は不安で、先生の言うことも信じられなかったです。

手術から1ヶ月後、病理検査の結果を聞きに行きました。
その1ヶ月はどのような気持ちだったかというと、実は、物凄く楽観視していました。なぜなら、画像でわからないほどの早期だったし、遺伝性のはずもないからタチの悪いものでもないだろうと、根拠なき自信がありました。
早期だし、大人しいタイプのがんだから、抗ガン剤はいらないでしょう、と医師から言われることを予想していました。

しかし、現実はそれほど楽観視できるものではありませんでした。